第1話 独りぼっちのプリンセス
グラン歴778年。
それまで、暗黒の影に脅かされ続けてきたユグドラル大陸に、新しい風が
吹き注いだ。
英雄シグルドの遺児セリスが、多くの人々の支持を得て、グランベル王国
の若き王となったのである。
また、その大国を形成する中の一つ、ヴェルトマー公爵家には、アゼルの
息子アーサーが恋人フィーをつれて戻り、衰退した領土の立て直しを計っ
た。
そして、フリージ公爵家には、その妹ティニーが、自らの強い意志で再建
を試みることとなった。
彼女は、ほんの少しの手荷物と一緒に、幼少の頃に亡き母と過ごした懐
かしい祖国へと到着した。
けれども、久しぶりに見る城の中は、形式ばかりを重んじる家臣らに占領
され、冷め切った空気ばかりが漂っていた。
その彼らの殆どは、女王ヒルダの命令に従っていた者の生存者で、彼ら
は戦えぬ代わりに命を長らえた、いわば、「貴族様」と皮肉って呼ばれる者
たちである。
上の者には、愛想良くご機嫌を取りつつも、下の者に対しては、精神肉体
共に仕事を酷使し、それで得た利益で贅沢を満悦する。
とにかく要領の良い人間たちで、過去にティニーに辛く接したことさえ、ま
るで何も無かったかのように振る舞い続ける。
「ようこそ、おいで下さいました」
ティニーは、作り物の笑顔のあふれる中、歯を食いしばり、黙って歩くのが
精一杯だった。
昔のことを、責めるわけではない。
けれど、悔しかった。
こうしてティニーは、広大な城の中で、一人孤独と戦うこととなった。
とは言え、それは始めから解っていたことでもある。
だからこそ、ここでくじけるわけには行かなかった。
そう言うある日、ティニーは思い切って、一人、街へと飛び出した。
しかし、現在フリージ城下は、先の戦争で治安が乱れ、流浪者が後を絶た
ない。
セリスの命令で、既にバーハラから、何十人もの兵士が派遣されてはいる
ものの、まとまりを無くした住民は、みな身勝手で、彼らの言うことを素直に
聞くどころか、これまでの圧制に耐えきれなかった者などは、逆に金品を脅
し取るような始末だった。
案の定、彼女も運が悪く、街でも有名な荒くれどもにむざむざと捕らわれ
てしまった。
そんな時だ。
ティニーの前に、一人の少年が現れた。
「バカじゃないの、君」
それは、魔法使いでありながら、魔法も使わず相手の言いなりになってい
るティニーに向かって投げかけられた言葉だった。
その少年マウリシオは、セティに良く似た面差しで、やはり彼同様に風の
魔法を難なく操ると、たちまち荒くれどもを退治した。
「魔法の使えない、魔法使いか、変なの…」
やがて彼は、名前だけを明かして去っていった。
けれど、その少年こそが、多忙で国を離れられないセティの身代わりだっ
たのである。
マウリシオは、まだ十六才の少年だったが、その身軽さと素早さを買わ
れ、王の側近としての手腕も発揮した。
また彼は、遠い親戚にも当たる。
「…やはり、あなたの思った通り、魔法を使うことに抵抗を感じていました」
「そうか」
セティは、ずっと以前から、ティニーが戦いを拒んでいることに気づいてい
た。
そのため、治安の悪い国にたった一人で戻らせてしまったことを少し後悔
していたのである。
本当ならば、今すぐ自分が行って彼女を助けてやりたい。
「いや、ここで会ってしまっては、私も彼女も、決意が揺るぐかも知れない。
だから今は、どんなに会いたくても、我慢するしかないだろう」
だが、そんなセティの発言に、マウリシオは怒りさえも覚えて、それを非難
した。
「つまり、勇者セティは、国を守ることが精一杯で、愛する人を顧みる時間は
無いと仰るのですね?」
しかし、彼とて、国王という重大な立場が理解できないわけでもない。
だからこそ、マウリシオは、多忙な彼の代わりに、自分がティニーの助け
になろうと、そう決心した。
セティは、そんな部下の、いや友の思いやりが、とてもありがたかった。
そして、ティニーは、一難去ってまた一難である。
亡きヒルダの兵士に、幾度となく命を狙われたのだ。
ところが、その兵士も、彼女の優しさに毒気を抜かれて、今まさに敵の正
体を打ち明けようとした瞬間、不意に現れた灼熱の炎に巻かれて死んでい
った。
それから、その数日後、ティニーはまさしく危険を承知で外出した。
城の中に閉じこもったままでは、何の解決にもならないからである。
すると、彼女の思惑通り、真の敵がとうとう自分の前に姿を見せた。
「ティニー…ね、今日は逃がさないわ」
そう言った女魔道士は、高度な炎の魔法を操る、赤い瞳と髪のヴェルトマ
ー戦士だった。
ティニーは、またもや窮地にたたされた。
が、またまた駆けつけたマウリシオのおかげで、無事に命を救われた。
「大丈夫か、ティニー、危なかったな」
「え、マ、マウリシオ?」
偶然か必然か、彼女は驚きを隠せない。
その一方で、謎の女魔道士は、彼の実力を警戒すると、捨てゼリフを残し
て素早く立ち去っていった。
マウリシオはその後、自ら護衛を志願して、ティニーに雇われてそのまま
城に残ることになった。
それから、二人は、国中の町や村を隈無く渡り歩くと、それまで解らなかっ
た現状を知った。
戦火の不安が今も残り、不安な日々を過ごしている者も少なくない。
ヒルダの圧政、または子供狩りなどの被害にあっていた者らは、長きに渡
る暗闇のような生活が、本当に終わったのだと涙した。
そして、再び華やかな栄華を誇る時代が来ることを、誰もが願っていた。
そんな中、ティニーは、偶然母の身の回りを世話していたと言う侍女の一
人と出会った。
その老婆は、母ティルテュが、戦いに巻き込まれた被害者だったことを教
えた。
裏切ろうとして、裏切ったのではない。
必然的に、敵側の人間となり、相対していただけなのだと…。
「でもヒルダは、最期の最後まで、母を裏切り者とののしり、けして許しては
くれなかったの」
ティニーは、事情を知ると尚さら、何故、自分たちがあれほどまでに恨まれ
たのか、その理由が知りたくなった。
「確かにそうかも知れぬな…ただしこれは大人の事情故、幼い我が子に
は、到底話せる内容ではなかったのじゃ」
老婆は始めは口を濁したものの、やがて時がきたと納得して、彼女にあり
のままを伝えたのだった。
その二日後のことである。
ティニーに宛てて、一通の手紙が届いた。
差出人は、「セティ」となっている。
そこで彼女は、極秘で会いたいという相手の願い通りに、たった一人で会
いに行くことにした。
ところが、それはあの女魔道士、アルマの仕掛けた巧妙な罠だったのであ
る。
アルマは、ティニーをおびき出す為に嘘の手紙を書き、しかも護衛をして
いるマウリシオをも引き離して、人気のない場所に誘い出す事に成功した
のだった。
「単純ね、あんな手に乗るなんて」
「そんな、あれはあなたの仕業なのっ?」
そうしてマルマは、戦いを望まないティニーに対し、幾度と無く攻撃をしか
けた。
ところが、戦いの途中、彼女は一気に怒りを露わにすると、今度は魔法で
はなく、自らの力ですかさず相手の首を絞め始めた。
「私はね、ずっとお前たち親子を恨んでいたのよ」
なんとアルマは、あのヒルダの異母妹だった。
しかも、母親と死に別れた後は、姉からの援助で生活していたのである。
そのため彼女は、姉を不幸にした親子を決して許さなかったのだ。
アルマの告白は、老婆の話と良く似ていた。
ティルテュとティニー、この親子が帰って来たことで、ブルームはヒルダと
の間に生まれた実の我が子すら、ないがしろにした。
ただでさえ、政略結婚で結ばれた夫婦だ、それほど仲が睦まじかったわけ
でもない。
しかしそれがあだとなって、二人の間に、修復出来ない溝が出来てしまっ
たのだ。
ヒルダは、妻としてのプライドを傷つけ、また疎遠になって行く夫に、当然
見切りをつけた。
こうしてヒルダの復讐が始まった。
自分を冷たくあしらったフリージを憎み、そのフリージに制裁を与えようとし
たのだ。
ティニーは、孤独がどれほど寂しく辛いものかを、身をもって知っていた。
それに加えて、そこへ現れた手が、どんなに温かいかも良く知っている。
だからこそ、相手の気持ちが痛いほどよく解る。
そして、彼女は、素直に身を任せた。
「あら、観念したようね」
アルマは、唇の端を少し上げて喜んだ。
やがて、ティニーの意識は、徐々に失われていった。
それでも、夢か現実か、ティニーはセティの声を聞くことが出来た。
もちろん、それだけではない。
締め付けられていたはずの手も遠く離れて、その代わりに暖かいぬくもり
が体を支えてくれている。
そうマウリシオではなく、正真正銘、セティの腕がそこにあったのだ。
彼はマウリシオから異変を知らされて、大急ぎで駆けつけていた。
「嘘から出たまこと…か、まさか本当に本物が現れるとは」
そう言いつつも、アルマは悔しいと感じる一方で、何故か、仕留められな
かったことに対してホッと胸を撫で下ろしていた。
彼女はティニーと関わっているうちに、自分自身の中で何かが変わってい
たのである。
セティもそれに気がつき、償いの条件として、ある提案を持ちかけたのだっ
た。
翌朝、ティニーは城の中で目を覚ますと、アルマが殺されずに生きている
ことを聞き、喜びをあらわにした。
「やっぱり君は、彼女を恨んだりはしなかった、そういう人間なんだよ」
セティが言うと、ティニーは頬を染めてはにかんだ。
「そうです、ヴェルトマー家の子女でもあられるあなたは、歴とした私の主君
ではありませんか。その主君を殺めようなどとは、恥ずべき行為です」
と言って、アルマは彼女に忠誠を誓い、またこれまでの行為を反省して許
しを請いたのだった。
また、ティニーが戦えない理由が明らかになると、彼女は増してその意志
を濃く表明した。
ティニーは、その昔、ヒルダに命じられて、罪人を処罰したことがある。
だけど、それはヒルダの企みで、その男は実際には無実であったことが後
で判明した。
以来、彼女は悪人でさえ、魔法で人を傷つけるのが怖くなってしまったの
である。
しかし、そのことを皆に打ち明けた途端、ティニー
の心は解放された。
事実、彼女は、それを誰かに告白して、楽になりたかったのかも知れな
い。
自分には、罪無き人を殺すつもりなど、全く無かったことを。
「奪った命は戻らないわ、私はそれが怖いの」
魔法を使えば、失ってはいけない命を、またなくすかも知れない。
それならいっそ、自分は戦わないでおこう。
このティニーの告白は、セティを始め、そこにいた総ての者の心を強く揺さ
ぶった。
やがてティニーは、いつしか自分の周りには、セティだけではなく、マウリ
シオ、アルマ、セティと共に駆けつけてくれた天馬騎士エリスの暖かな表情
があることを知った。
「あ…」
彼女はもう、独りぼっちではなかった。
そしてセティが、両腕で強く抱きしめ、更に励ましてくれたのだった。
彼もまた、気持ちの中に、確かなゆとりを芽生えさせていた。
確実に何かを吹っ切ったのである。
「きっとまた会いに来る、だからそれまで君も頑張れ」
第一話 終わり
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