シンデレラろまんす〜ベオウルフ・ラケシス〜


  ラケシスは、ぼんやりと雲を眺めては、愛らしい溜息を繰り返していた。
 綿(わた)に似たそれが、形も変えずにプカプカと流れていくのを見ている
と、極めて時間がゆっくりと経っているような気がしてくる。
 また、その日は風もなく、日差しも暖かで、それこそ、じっとしていては勿体
ないくらいの上天気だった。
「遅いわ、いつまで待たせるつもりなのかしら」
 とうとう彼女はしびれを切らし、木陰から少し離れた。

 町はずれの大きな木は、休むのにはちょうど良かった。
 けれど、そこで出来ることと言ったら、事が知れている。
 せいぜい空を観察したり、道行く人々のせわしない姿を見るくらいで、贅
沢の限りを尽くして育った、上級階級の者には、退屈以外のなにものでもな
い。
  そして、ラケシスの横を、農夫の格好をした体格の良い男がかすめて通
り、そのまま木陰に飛び込むと、ガーガーいびきを立てながら、気持ちよさ
そうに昼寝を始めた。
「ああ、もう、彼ったら何をやっているのかしらっ」
 そう言って彼女は、さも気まずそうに目をそらしながら、ソワソワと落ち着き
を無くしていた。
 
 しばらくして、ラケシスは眩しい太陽の光に当てられ、再び木陰へと戻っ
た。
(あと、どれだけ待てば…いいの?)
  彼女は、短めに仕立てたドレスの裾を掴んでは、時には怒り、また時には
寂しそうにうつむいたりと、ただひたすら相手が戻ってくるのを待った。
  やがて、独りで時間を潰すのにも、飽きてきた。
  陽は西に傾き、光のカーテンを広げ始めている。
  溜息が、低く、地面に落ちていく。
  いつしか彼女は、戻ってくると約束したまま、そのまま帰還することのなか
った兄エルトシャンのことを、切なすぎるほどに思い出した。

(こんな風に、何もしないで、ただ待たされるのはもうたくさんよ!)

 ラケシスは、木陰で腰を下ろして、思わず膝を抱えた。
 容姿とは若干、不釣り合いなそのポーズが、道行く人の注目を浴びる。
 小さな顔を両腕の中にすっぽりとうずめたまま、泣いているようにも見え
た。

  ちょうどその頃。

「いけねぇ、いけねぇ」
 ベオウルフは、たった今買ったばかりの品物を、袋にも入れずに、むき出
しのまま、そのまま肩の上に乗せて歩く。
 彼は大股を開き、左右に肩を振りながら、ずいぶん疲れた足取りで、のっ
しのっしと前に進んでいた。
 破れた衣服の間からは、真新しい傷痕が顔を見せている。
「くそっ、傷薬を買う金も残っちゃいねえ」
 そう言いながら、腕から滲み出ている血を、舌で舐める。
 こんな姿の男を見れば、気の弱い女性なら、そそくさと逃げていってしまう
ところだ。

 そして、ベオウルフは、大きな木の前で、ふと足を止めた。
「よぉ」
  そういう機嫌の良さそうな声色には、悪びれた様子など、何処にも見当た
らなかった。
 辺りは、既に陽が落ちて、どっぷりと闇に覆われていたが、華やかな衣装
に身を包んだ少女の姿は、それに溶け込むこともなく、まるで光り輝くように
存在していた。
「もーう、酷い人ね、何時だと思っているの、こんな場所で何時間も待たせて
おいて、反省の色もないのね…」
 ラケシスは、彼の声を聞くなり、スクッと立ち上がる。
 シワになった裾が、どれだけ時間が経ったのか、教えてくれていた。
  それから、わざと顔を背けて、そっぽを向く。
 怒るのは、無理もない。 
 ベオウルフも、慌てて背を屈める。

「悪い、少し遅くなっ…」
「少し?これが少しですって!」
  彼女は、さながら脅迫でもしているかのように、ここぞとばかりに押しまくっ
た。
 これまでの憂うつな時間を思えば、どんな責め立てをしたって当然であ
る。
と、言わんばかりに。
「おい、そう、かりかり怒るなって、ほら」
  ベオウルフは、少しうろたえて、尻込みをしながら、肩に乗せていた物を下
ろす。
「何なの?」
 その瞬間、ラケシスの頭上から、フワリと軽い何かが落ちてきて、ベール
でも掛けたかのように、みるみる美しい衣に包まれた。
「し…ろい?え、白いドレス!」
  彼女は、思わず手で掴み、眼を見張った。
   
「キュアンからもらった金も、武器やら何やらで、ほとんど使い果たしちまっ
たしな、闘技場で稼ぐしかねえだろ」
  その瞬間、ラケシスの表情から、怒りが消えた。
「あの…もしかして、今の今まで、ずっと闘っていたの、ベオウルフ?」
  声も少し震えていた。
「ああ。もっとも、絹じゃねぇなら、あと三時間は早く帰れたがな」
「……」
  彼女は、白いドレスについている血を、そっと指で抑えた。
  たった一枚の服のために、どれだけの傷を負ってしまったのか。
「…バカね、これから戦争って言うときに、こんなもの用意したりして」
「何だ、いらねぇのか」
  そう言って、ベオウルフが何もかも解ったような顔をして、静かに笑う。
「!」
  兄エルトシャンとは、似てもにつかない笑顔。
 けれど、その微笑みは、とても頼りがいのあるものに見えてきた。

「もう、ほんとあなたって意地悪ねっ」

前編終わり

それから、6ヶ月という月日が流れた。

  ここシレジアでは、ラーナ王妃の手厚い配慮のおかげで、贅沢こそ出来な
くとも、それなりの生活を得ることが出来た。
 けして、戦争が終わったわけではなかったが、たとえ一時(いっとき)とは
いえ、身も心も自由になると、誰もが安らぎを求めるようになった。
  こうして、戦場で生まれた恋が、次々と実を結んでいく中で、ラケシスもま
た、熱い想いを温め続けていた。

 そんなある日のことだった。
 
「ねえ、ベオウルフ」
  ラケシスは、少し甘えた声で、彼の名を呼んだ。
  けれど、いくら名前を呼んでも、返事が返ってくるのはまれだった。
  たいがいは、無言か、良くて気のない生返事が戻ってくるだけである。
  それでも彼女は、すすんで話をした。
 会話と言うには遠いけれど、何も話さないよりは、よほど気が紛れた。
 たとえ相手が、長いすの上で、イビキをかいて寝ていたとしてでもである。
「あら、いつの間に寝たのかしら」
 気が付くと、彼は、すっかり眠りに落ちている。
「きっと、昨夜も帰りが遅かったのね」

 ベオウルフは、昼間は寝てばかりで、夜になるといずこかへ消えていく。
 ラケシスは、もちろん、その理由を知っていた。
  どうやら城を抜けだし、町外れの闘技場で、密かに軍資金を稼いでいるら
しいのだ。
  ラーナ王妃の好意に、甘えてばかりいるわけには行かないからだろう。
「だからって、こうも毎晩毎晩行かなくたって」
  そう言って彼女は、とても寂しそうに部屋を出た。
 ギィィィ…。
 扉の閉まる音が、妙に冷たかった。

(ベオったら、私の気も知らないで)

 そして、翌日。
「ねえ、ねえっ、これ覚えてる?」
  ラケシスは、例の如く、長いすの上で、のんびり昼寝をしているベオウルフ
を訪ねた。
 それから、その頭上に、飛び切りはしゃいだ明るい声を落とす。
「…うん?」
 流石に、大きな声に驚いたのか、彼は寝転がったまま、ぽっかり口を開け
て、大きなあくびをしながら、さも眠たそうな顔を彼女に向ける。
「何だ、ラケシス、何かあったのか」
「ほら、これ」
 言いながら彼女は、彼の頭の上に、バサリと何かを落とした。
「!」
 すると、途端に眼が覚めたのか、ベオウルフがはっきりとした口調で怒鳴
る。
「なんだあ、こりゃあ」
 彼は、白いドレスを手ではね除け、わしづかみにする。
「ふふっ、思い出した?」
「こいつは…」
  
 忘れるはずがない。
 いや、忘れては困るのだ。
  ラケシスにとっては、どんな高価な宝石よりも価値があった。
  それは、兄エルトシャンの形見に匹敵するほどである。
「ねえ、思い出してくれた?」
 彼女は、期待をふくらませて、見るからにワクワクとしている。
「……」
 ベオウルフは、黙ったまま、ドレスを見つめる。

(こいつは確か…)

  ラケシスは、貴族の娘に生まれながら、華やかな生活も失い、たった一人
の肉親すらも亡くした。
 その後、自らの意思で長いドレスを脱ぎ捨て、形見の剣を握ったその日か
ら、もう一つの人生が始まった。
 また、小さな身体に秘めた情熱は、天性のものであり、兄をもしのぐ激しさ
を持ち合わせていた。
  まさに彼女は、けして数奇な運命に臆(おく)することもなく、汗と涙とで乗
り越えてきたのである。

  けれど、もしもエルトシャンが生きていれば、血生臭い妹の姿を見るのは、
とうてい忍びなかったはずである。
 流れる髪を揺らし、音楽に合わせてワルツを踊る。
  何の苦しみも知らず、愛らしく育ってくれることを、何より望んでいたはず
だ。
 ベオウルフは、そんな亡き友の心を汲み取って、あでやかな衣装を贈った
りもしたのだ。
 
「せっかく用意してやったのに、一度も着てねえのか?」
  彼は、半ば呆れたように笑う。
「だって」
 ラケシスは、思った通り、とても悲しい眼をして口ごもった。
「だから、お姫様はお姫様らしく、これを着てお城で待ってればいーんだ、だ
いたい戦いなんてもんは、男の…」
  ベオウルフは、少し声のトーンを上げ、強く言った。
 すると。
「いいえ、私は、確かに戦うことは好きではないけれど、後悔はしていない
わ」
 彼女は、相手に負けず劣らず、力強い、はっきりとした口調で、ゆっくりと
首を振った。
  熱い眼差しが、真っ直ぐに自分を捕らえる。
 彼は思わず、その雰囲気に飲まれそうになった。

「私、あなたの隣で戦うのなら、戦場に出るのも恐くない、そうよ、どんなにド
レスをひるがえしたって、一人では、心なんて躍らないもの」
「ラケ…シス?」
「お城で待っていたって、あなたがいなければ、意味がないのよ」
 次の瞬間、彼は、そっとドレスを置き立ち上がる。
  そして、お互いが向き合うと、彼女が迷わずその胸に飛び込んだ。
「知らなかった?私ね、あの日からずっとあなたのこと、好きだったのよ」
「!」

  ところが、ベオウルフは、ラケシスの小さな肩を抱くことすら、ままならなか
った。
 ためらう手が、何度も何度も、その場所を行き来する。
  突き放すわけでもなく、抱きしめるわけでもなく、ただジッと黙ったまま、言
葉が途切れるのを待っていた。
  一方、彼女は、抱きしめてもくれない、その歯がゆさに、悲しみが溢れてな
らなかった。

「酷い人よね、何にも知らないで、いつもいつも勝手なことばかり…」
 一人で話を続けるのが、こんなに辛いものとは、思いもしなかった。
  思えば、どうして気が付いてくれなかったのか。
「戦っていないときぐらい、普通に話も出来ると思って…いたのに」
 そう言うと、とうとう涙がこぼれて、ベオウルフの上着に染み込んでいく。
  と、同時に、彼の肩がビクンと震えた。
「悪(わり)い、それ以上は聞けねえな」
「なっ」

 ラケシスは、強い衝撃を受けて、咄嗟(とっさ)に表情を強張らせる。
 だが、次に出てきた言葉は、それほど冷たいものではなかった。
「ったく、女の口から言わせるなんて、俺も落ちたもんだ」
「え」
「こいつにしたって、本当は、お前を戦場に出させないつもりで買ったのに、
今頃はエルトシャンにずいぶん恨まれてるな。やつには、身を守る術だけ、
妹に教えてやってくれって言われてたのによ」
 と、ベオウルフは、苦笑いしながら、再び白いドレスを掴む。
「昔習ったワルツなら、まだ少しは、体が覚えているかもしれねえ」
  そう言って彼は、ドレスを腕に掛けたまま、しっかりと彼女の身体を抱き寄
せる。
 いつもの素っ気ない返事とは裏腹に、始めて心を開いてくれたセリフだっ
た。
 気のせいか、戦場で見る顔とは違って、どことなく紳士的な面影が見え
る。
 ベオウルフとて、初めから、無骨者だったわけではないのだ。
 今でこそ勝手気ままな傭兵家業だが、その昔は、歴(れっき)とした騎士の
一人だったのかも知れない。
「ええ、ベオウルフ、素敵だわ」
 いつの間にか、悲しみの涙が、喜びにすり替わっていた。

 その夜、ラケシスは、始めて白いドレスを身にまとった。
 そしてベオウルフは、通い続けた闘技場へ行くことを止めた。
 しかし、彼女は、まるで花嫁衣装でも着ているかのように、興奮して落ち着
かない。

「ど…う?」
 ラケシスは、反応が不安で、恐る恐る声を掛ける。
 が、返事はない。
 けれども、彼は無言のまま、ラケシスの両膝を腕ですくい上げ、そのまま
抱き上げる。
「きゃっ」
  小さな身体は、まるで体重を感じさせずに、舞うように軽やかと持ち上がっ
た。
「あ…」
  彼女は、胸元高く抱き上げられて、ほんの少し伸ばしただけで、彼の頬に
手が届く。

「お姫様、気分はどうだい」
「まあ、ベオウルフったら」
 ラケシスは、そう言って笑いながら、両腕を伸ばし、彼のことを強く抱き締
める。

 ええ、最高に幸せだわ。
                                                            
                        終わり

すたーと
ばっく