灼熱の瞳・氷の涙〜ナバール〜


  誰が最初に言ったのか。
「命が惜しければ奴には近付くな」
 もっぱら山賊たちの間では、その男のことをそう噂し、恐れた。
 だからなのか、彼の回りに寄り付く者など、誰一人としていない。
  また、冷ややかな眼差しは、一点を見つめているのではなく、たえず四方
八方を探っていた。
 それはまさしく、近付く者は総てが敵だと言わんばかりに。

  ナバールは、血塗られた剣を腰に差し、壁にもたれたまま夜を過ごす。
 それというのも、昼間村を襲って集めたお宝を、奪いに来る夜盗どもがい
るからである。
 彼は用心棒として、それも撃退させなければならなかった。
 もともと、金で雇われた傭兵に、平穏な日常など有るはずもない。
 この夜も、首領の財産を狙う、反逆者どもが奇襲をかけてきた。
 しかし、これも、まったく彼の敵ではなかった。
 たった一振りの剣で、再び闇が沈黙に帰る。

「命か金か、選ぶのは貴様たちだ」
 ナバールは、剣を喉に突き付け、男に冷笑を浴びせた。
 月の光を背後から浴びて、くっきりとシルエットが映し出される。
 その中で、刃が光を跳ね返し、ギラギラと輝きを増した。
「く…」
 男は、一握りの宝を奪う前に、その僅かな夢を断ち切られた。
 山賊とはいえ、皆が皆、私腹を肥やしているわけではないのだ。
 分け前の大半は、リーダーが有無を言わずに奪っていく。
 また、その金の一部が報償として、ナバールの手に流れているのだが。

「行け、一度目は見逃してやる、二度とここへ現れるな」
「す、すまねえ、このことはハイマンには黙っててくれ」
 男は、傷付いた腕を支え、何もなかったかのように背中を向けた。
 だが、そこへ手斧が現れ、あっさりと首を奪っていく。
「ナバールよ、裏切りは許しちゃいけねえな」
「ハ、ハイマン!」
 ナバールが振り返ると、戻ってきた手斧を舐(な)める雇い主の姿があっ
た。
 仲間の血を味わって、さぞ満足気な様子だ。
「こいつはもう、部下でも仲間でもねえぜ、ただの盗人だ」
 と、ハイマンは言って、慌てて訂正する。
「おっといけねえや、俺らは、はなから盗人だったっけなあ、はぁーはっはっ
はっ」
 その笑い声は、他の者の耳にも聞こえた。
 それはまるで見せしめのように、山の中をこだましていた。
(……)

 ナバールは、苦笑を浮かべていた。
 とても、笑う気持ちにはなれなかった。
(ここに来たのは、間違いだったのかも知れない)
 残虐非道を繰り返すこの地こそ、性に合っているのではないかと思ったり
もしたが、やはり何かが違っていた。
 サムスーフ山は悪魔の山だ。
 通称デビルマウンテンは、その名の通り、悪魔たちが住んでいた。
 いや、巣くっていたのだ。

(俺は、人殺しを楽しんでいるわけではないっ)

 ナバールは、その不快感からか、堪らず唇の端を強く噛んだ。
 初めは、自慢の剣を存分に振るい、満足感が得られればそれで構わなか
った。
 けれど、もはやこの悪人どもに、用心棒など必要ない。

 きっとどこかに、俺の剣を必要としている者がいる。
 こんな悪魔ではなく、もっと他に…。

前編終わり

  ある朝、日も昇らないうちに、見はりを務めていたナバールの元に、一人
の若い女が助けを求めてやって来た。

「あんた、頼むから助けておくれ、これであたしを守っておくれよ」
 そう言って女は、ふところから、数多(あまた)の金貨を取り出し、傭兵の下
心を掴もうと必死になった。
 金さえ積めば、味方に引き込めると思ったのだろう。
 しかし、ナバールは、その金がいわく付きであることを知っていた。
「女、その金は、ハイマンのものだろう、良いのか、そんな真似をして」
 彼は、半ば裏切りを忠告するように言った。
  見つかれば、命の保証はない。
 だが。
「ああ、構わないさ、あたしはもう自由になるんだからね」
  女は、フッと笑いを浮かべ、唇の端を高くつり上げた。

 けれど、ひきつって歪んだ微笑みが、少し恐怖に怯えていた。
 それもそのはず、おそらくその金は、持ち主から無断で拝借したものであ
り、しかも彼女は、その相手から逃げてきたに違いない。
 ハイマンと共に過ごした寝所を密かに抜け出し、奴が眼を覚ます前に、こ
の山を降りるつもりなのだ。
「そう、これは手切れ金がわりさ」
 女は、震えながらも、力強い声で言った。

「あんたも知っているだろう、ハイマンのやり方を」
「……」
 ナバールは、無言で肯いた。
 先日も、仲間が殺されたばかりだ。
 裏切る者には、必ず理由がある。
 皆、ハイマンのやり方に不満を抱いている。
 そして、この女も、愛人としての暮らしに、あいそをつかした所なのかも知
れない。
「飽きられたら、きっとあたしは用無しさ、だからその前に逃げるんだよ」
 ナバールは、思わず息を飲んだ。
(用無し、か) 

 自分にも、いつかそんな日が来るのだろう。
   
 すると、次の瞬間、草の茂みが大きく揺れた。
 と同時に、手斧をぶら下げた男が、ぬっと姿を現す。
「ハ、ハイマン!」
 たちまち女は慌てふためき、すかさずナバールの背中にしがみつくと、そ
れこそ懸命に身を小さく縮めた。
 小刻みに震える手が、彼の肩までも揺らしていた。 
「よーしナバール、その女の持っている金を奪え」
 ハイマンが、得意そうに、指をさして命令する。
「そしたらもう、その女には用はない、その剣の餌食にでもしてしまえ」
「!」

  ナバールの背中で、女が声にならない悲鳴を上げた。
 そして、彼自身もまた、それが引き金となり、体の奥底で悲痛な叫び声を
上げていた。
 ついに心の底から、悪に対する凄まじい怒りと、生き甲斐のない生活に虚
しさを覚えたのである。

 既に、ハイマンに対しては、己の限界を超える憎しみが生まれ始めてい
た。
 なぜならあの男は、ただただ己の私利私欲のためにだけ生き、他人を思
いやることなど、微塵とも無かったからだ。
  きっと自分とて、傭兵としての価値を失えば、仲間と同じ運命を辿る。
 そればかりか、いくらこの場所で優れた技を会得しようとも、それが「生き
る剣」になる事自体、皆無なのだ。
   
「だがハイマン、このまま殺すには惜しい女だ」
 ナバールは、高ぶる怒りをしきりにこらえ、平然を装って静かに答えた。
「ほう、貴様、そんな女が気に入ったか」
「ああ、それで幾ら払えばいい」
 するとハイマンは、即座にニヤリと笑った。
 彼は闇雲に女を殺すよりも、無論、金になる方を選んだのである。
「よし、いいだろう、俺がお前に支払った報酬の半分、いや3分の2だ」 
「…解った、後で支払おう」

  こうして、ハイマンが立ち去ると、女はホッと胸をなだめ、ゆっくりとナバー
ルの前に立った。
 胸元には、くっきりと谷間が見える。
 それを彼女は、更に右手で衣服を押し広げ、大胆にも見せつけた。
「ああ助かったよ、やっぱりあんたも、こーんな綺麗な顔をしてても、男…な
んだねえ」
 と言って彼女は、突然表情を穏やかにし、艶(つや)っぽい声を出した。
 それから、細い両腕を相手の肩に回し、更に、その白い脚をからめる。
「あんな奴より、あんたの方がよっぽどいい男さ、さあ遠慮することはない
よ、好きにしておくれ…」
 
 しかし、ナバールは、静かに首を振り、誘いには応じようとはしなかった。
  それどころか、しがみつく相手の腕を振り解き、側を離れたのだ。
「さあ女よ、山を下りてどこへでも行くがいい」
 彼は、踵(きびす)を返してそう言った。
「って、あんた、あたしが欲しくて奴から買ったんじゃないの?」
 女は、さも不思議そうに、眼を丸くして尋ねる。
 が、肝心の男は何も言わずに去っていく。
「ちょっと待っておくれよ、相手があんたなら、一生側にいてやってもいいくら
いなんだよっ」

 女は、ナバールの後ろを追いかけ、懸命に引き留めようとしたが、相手が
立ち止まり、再び顔を見せることはなかった。
「なんなんだよ、この野郎っ」
 彼女は、女としてのプライドを守るために、罵声(ばせい)を吐いた。
 けれど、その時、ふと礼を言いそびれたことに気が付いて、しんみりと寂し
い表情になった。

(でも、なんで、あんたみたいな男が、よりによってハイマンなんかに雇われ
ているんだろうねえ)

中編終わり

  やがて、サムスーフ山に、異変が起きた。
 それは、もはや国も軍も見捨てたこの無法地帯に、正規アリティア軍が近
付いてきていると言う報告が入ったからだった。
 しかし、そんなことで、揺るぐ悪党どもではなかった。
 逆に返り討ちにして、名を馳せようと言う魂胆だ。
 軍隊を相手にして勝利を得れれば、ますます悪名高い噂が広まることだ
ろう。
 ハイマンにとって、この山を完全征服することは、願ってもない事だ。
 まして、彼には、金で雇った力強い用心棒がついていた。

「くくっ、今更この山に軍だと?何しに来やがるんだ」
「ハイマン、笑っている場合ではないぞ、やつらは既にガルダの海賊を倒し
ているのだ」
 ナバールは、彼のかたわらに立ち、余裕をひけらかしている態度をいまし
めるように言った。
「ふん、黙れナバール、そのためにお前らがいるんだろうが」
 ハイマンは、声を荒げ、それから唇をつり上げてニッと笑う。
(せいぜい傷だらけで戦ってもらうさ)
  さしずめ自分以外の命など、消耗する道具の一部でしかなかった。
  たとえ失っても、また新たに代わりを雇えばすむことだった。
「……」

 俺が求めているのは、金でもなければ女でもない。
 この俺を必要とする場所と人間だ。
  だが、ハイマンは、俺を必要としているのではない。
 ただ力のみを欲し、己の欲のために利用しているだけだ。
 しかし、この世界のどこかに、俺自身を求めてくれる人間が必ずいるはず
だ。
 必ず! 

  そして、ナバールは黙ったまま、その場を去った。

 ちょうどその頃。
「あっ」
 シーダは、突如、草むらに、傷だらけの女性が倒れているのを見つけた。
 彼女は、軍より少し離れて天馬に乗り、先回りをしながら慎重に進んでい
た。
 その矢先だった。
 だが、いつどこで、山賊が現れるかも知れないこの場所で、むやみに地上
へ降りるのは危険だ。
 しかも、自分には、周囲を偵察をするという重大な任務があった。
「でも、このまま放ってはおけないわっ」
  そう言って彼女は、迷わず手綱を引いた。
 すると、愛馬が嘶(いなな)き、主人の心に応える。
「ふふっ、お前も賛成してくれるのね、ありがとう」

 女は全身を、木の枝やトゲで傷つけてはいたものの、極度の疲労と空腹
を除けば、特にたいした致命傷はなかった。
「あ…あんた、見たところ軍の女兵士だろ、なんで助けてくれた?」
 シーダは彼女に、非常用に持っていた水と食べ物を総て与え、更に傷薬
の半分をも分けて持たせた。
「ごめんなさい、本当は乗せてあげたいのだけど、あいにく私たちは、これ
から戦いになるかも知れないの。だから、こんなことしか出来なくて…」
「ちょっと、聞いているのかい!あたしは、何故助けたと聞いているんだよ
っ」
「え、あの、それは」
「ったく、ナバールと言い、あんたと言い、かなりのお人好しがいるもんさ、ふ
んっ、この世界もまだ捨てたもんじゃないね」
「ナバール?」
「ああ、この山の悪党に金で雇われた用心棒のことだよ、滅法腕の立つ剣
士さ」
 そう言って女は、その瞳を閉じ、過ぎし日のことを思いめぐらせていた。

「剣士…。それでその人は、あなたを?」
「ああ、こんなあたしをハイマンから自由にしてくれたよ、せっかくの大金を
はたいて、ほんと、バカな奴だよ」

(ナバール、その剣の鋭さとは裏腹に、本当は心の優しい戦士なのだわ)

「会ってみたい」
「え?」
「いえ、何でもないわ、それじゃあ、私、早く戻らないと」
 そしてシーダは、慌てて手綱を取り、天馬にまたがった。
「ちょっと、待っておくれよ、せめて名前ぐらい聞かせてくれないか」
 女はおぼつかない足で、必死にあとを追いかける。
 素性も知れぬ相手に紹介したとあっては、彼に合わせる顔もない。
 せめて相手が、真っ当な国の騎士だと言う証が欲しかった。
「あ…ごめんなさい、私の名はシーダです、祖国はタリスですが、今は訳あ
ってアリティア軍に身を置いています」
「タリス?シ、シーダだってえ」
 それは、女の生まれた国でもあった。

 なんてこったい、でもこれでナバール、あんたの居場所が見つかったも同
然さ。
  その凍て付いた涙も、ようやく溶けるかも知れないねえ。
 深い悲しみと絶望は、涙さえも涸らしちまうが、大きな喜びと充実感は、皮
肉にも涙をさそうもんさ。

 こうして、ナバールにとっての運命の瞬間は、意外にも早く訪れた。
  アリティア軍の前線を目の前にして、剣を抜くよりも先に、頭上から天馬の
羽ばたきが聞こえてきたのである。

「剣士ナバール!」

 この時、シーダの声は、まさしく、直接心の中へと呼びかけていた。

                      
   終わり

すたーと
ばっく