傭兵に花束を〜オグマ〜前編


 まるで濁流(だくりゅう)が押し寄せるような激しい歓声と共に、突然真っ赤
な血潮が弾け飛ぶ。
 最期の声さえ、無情にもかき消される中に、男は勝利=(イコール)生存を
掴みながらも、どこか沈んだ表情でその場に立ちつくしていた。
 幾度の死を見つめてきた己の心とは裏腹に、観客の恍惚感(こうこつか
ん)は増していく。
 それが益々疑問を強くし、強いては自分自身の生き方に質問を投げかけ
る。
 日々この闘技場で、金に欲の眩んだ荒くれ共を相手するのも、慣れを通り
過ぎて、嫌気がさしてきた頃だ。
 運良くば、いずれこの生活から逃げる事が出来れば、と思うばかりだ。

 しかしそれは、はかない夢でしか無い。
 闘技場などに流れてきた人間が、人並みの自由と平和を手に入れること
は、とても難しいからだ。
 それでなくとも、みな訳ありの男たちばかりである。
 その男、オグマも、人には言えない深い事情を隠したまま、悪名名高いノ
ルダの町へと流れ着いた一人であった。
 彼は幼い頃、航海中の船の上で突如海賊に襲われ、家族を皆殺しにされ
たあげくに、自分は人買い商人へと売られた。
 後に流れて剣闘士となったものの、それでも奴隷(どれい)には違いない。
 
「オグマさんてば、相変わらずすごい腕ですよね、10連勝1引き分け、文句
なしの成績ですよ」
 薄暗く狭い部屋に、たった今、戦いを終えたばかりの戦士が幾人も集う。
 その中でもこの少年は、まだ年も若く、半年前入ったばかりの新入りだ。
  戦いのイロハもろくに知らないまま、たった2000ゴールドで売られてき
た。
 つまり、命の値段が、銀の剣と変わらないと言うことである。
「サムトーか、良く生きていたな」
 オグマは、血まみれの剣を、そこに待機している主人の手に戻しながら、
振り向き様に答えた。
 武器を回収するのは、逃亡・反乱を防ぐためであり、ここから先は何一つ
持ち帰ることは出来なかった。

「見て下さいよ、俺なんかまたやっちゃって、この通り腕も上がらないんで
す。でも、生きているだけマシかな」
 サムトーは、そう言って細い腕を見せた。
 傷だらけと言うよりは、むしろ、おびただしい痕で、肌の色までもが黒ずん
で見えるほどだ。
「どれ見せてみろ」
「わ、わわっ、ら、乱暴しないで下さいよ」
 彼は、突然その腕を掴まれ、思わず腰を引いた。
「いいから黙ってろっ」
「!」

 そしてオグマは、少し外れかけていた関節を難なく元に戻してやると、大き
なため息をついた。
「ったく、お前は相手に斬り掛かる瞬間、反撃に対しての防御が少し遅れ
る、だから痛い眼に遭うんだ」
「はーいはいはい、解ってますって」
 サムトーは、腕が治った途端、たちまち調子の良い笑顔を浮かべた。
「それより…」
 それから彼は、さり気なく顔を近づけると、声が外に漏れないように、相手
の耳元に向かって直接ささやいた。

(それよりオグマさん、例の計画、着々と志望者が募ってきてますよ)

 自分の意思とは裏腹に、無理矢理闘技場に着き出される生活に不満を抱
く者は、日々後をたたない。
 初めから奴隷と諦めている者も少なくはないが、それでも自分の命は惜し
いものだ。
  そしてオグマは、ついに、自由と平和を求めて、脱走を計画するに至った。
 一人より二人、二人より三人。
 いや、どうせ逃げるのなら、全員を連れて行く。
  それが彼の考えだった。

  長くいる分、内情もよく知っている。
  長い時間を掛ければ、やって出来ないことは無いだろう。
 どうせいつかは戦いで落とす命だ。
 ならば、一番有効な使い道をしたって構わないはずだ。
 もし成功すれば、生きる為だけに人を殺める生活からも抜け出せる。

(サムトー、それまでは大事な命、落とすなよ)
(ええ、もちろんですとも、オグマさん)



 しかし、その計画は、空しくも失敗に終わった。
 それから一ヶ月後の、風の強い秋の夜のことである。

後編に続く

「オグマったら珍しいのね、一体何を考えていたの?」
 シーダは、木の陰で、一人ぼんやりと雲を眺めている彼に声をかけた。
 このところタリスは、たいした事件も争いもなく、毎日平穏な日々が続いて
いる。
 おかげで傭兵は、鍛練(たんれん)を積むか、武器を磨くかのどちらかの
生活を送っていた。
 そう言うオグマは、傭兵と言えどもそれらをまとめる隊長という地位にあ
り、まして城を守る警備に所属している。
 故に、何時起こるか解らない危機に備えて、絶えず眼を見張っていなくて
はならない。
 無論、のんびりとする時間など、無いに等しいはずである。
 それでも時々、こうして空を見やる時間くらいはあった。

「シーダさま、お帰りになったのですね」
「ええ、とても楽しかったわ、久し振りにマルスにも会えたのよ」
「それは良かったですね、彼も喜んだのでは」
「ええっ、もちろんよ」
 そう言ってシーダは、いかにも少女らしい微笑みを浮かべ、喜びをめいっ
ぱいに振りまいた。
 またその両手には、積んだばかりの花が、腕の中から溢れんばかりに揺
れている。
「それよりオグマ、私の質問には答えていないわよ、そうじゃなくて?」
「ははは、そうでした」
 そう言ってオグマは、少し恥ずかしそうに笑って答えた。

「実は、あの日のことを思い出していました」


 三年前、オグマは仲間らと共に、闘技場生活の泥沼から抜け出すべく、脱
走を計画した。
 しかし、その中には、日頃の負傷が祟り、逃げ遅れた仲間も数人いた。
 ひたすら自由な生活を夢見て、一か八かの勝負にかけた者たちである。
 彼らは、このような事態も、おおかた予想はついていた。

「俺はもう駄目だ、あんたたちだけで逃げてくれ」
「バカを言うなっ、逃げる時は全員連れて行くと、俺は心にそう誓った!」
 オグマは、そう言って仲間の一人に肩を貸した。
「駄目だ、オグマさん、そんなんで逃げ切れるわけがない、早く俺たちと一緒
に逃げよう!」
 一方で、サムトーが、後ろを振り返りながら必死に叫んでいた。
 だが、彼は首を横に振った。
「サムトー、お前は先に行け、足が速いんだ、逃げるのはわけないだろう」
「オ、オグマさん」

 だが、願いも空しく、オグマは三名の仲間と共に捕らわれた。

「悪いのはこの俺だ、罰するなら俺一人だけにしてくれ、あとの三名は許し
てやって欲しい」
 彼は、自分の命と引き替えに、三人の仲間の命を救おうと決めていた。
 すると、人買い商人であり、かつ闘技場の運営を務めるその男は、ゆがん
だ笑みを漏らして言った。
「ふん、いいだろう、そこまで言うのならば望み通りにしてやる」
 しかし、その顔は既に商売人と化し、あくまでも元を取るつもりでいる。
「闘技場の人気者の処刑だ、さぞかし人も集まろう」
 案の定、彼は、オグマの処刑を見せ物にして、大きな金を集めるつもりで
いた。


「もしも、あの時、シーダさまが通りすがらなければ」 
 そう言いながら、オグマは頬の傷に触れた。
「驚いたわ、だって無抵抗の人間を痛めつけるなんて、そんなむごいこと許
せるわけ無いじゃない、それに」
「それに?」
「男たちが噂をしていたのを聞いたのよ、あなたが仲間の命を救うために身
代わりになったことを」
 それからシーダは、ちょこんと木の側に座り込んで、ニコッと笑った。
「それで思ったわ、お父さまに頼んでこの人を雇ってもらおうって」
「!」
 その瞬間、彼は驚きのあまり言葉を失った。

 幼いながらも、何が正しいのか知っていたというのだろうか。
 王女として生まれ、大事に育てられながらも、正義が何か解っていたと。

「だって、お父さまはいつも言っていたもの、一番大切なものは人の命だっ
て」
 彼女は、少し大人びた表情をして答えた。
 また、その態度は、一国の皇太子さながらに、とてもき然としている。

 そしてね、人を大事に思う心は、もっともっと大切なのよ。
 
「あ、そうだ、これ、オグマにと思って持ってきたのよ」
 そう言ってシーダが、両手に抱えた花の束をそっと渡すと、オグマは突然
不釣り合いなモノに顔中を埋め尽くされ、あ然と口を開いた。
 しかし、しばらくしてその意味にも気がつき、ふと笑顔を浮かべる。

「ちょうど三年前よね、オグマがタリスに来たのは」
「ええ、そうです」
「ふふっ、これからもよろしくね、頼りにしているわ、隊長さん」

 ええ、勿論ですとも、このオグマ、命に代えてもお守りいたします! 


                                                
  終わり

すたーと
ばっく